実は基本、
スモール・コミュニティばかりなのです。
「過疎」という呼び方が昔っからどうにも好きになれないのです。人口密度の高い地域に暮らす人間の、見下ろすような感覚が露骨にあふれているから。
“上から”というのではなく、自分たちは「普通」、すなわちスタンダードな生活者である、という自負が前提にあるような気がするその言葉には、都会や中央に暮らす人間の安寧までもが見え隠れ。
実際、新幹線などで日本列島を縦断すると感じることですが、現代ニッポンなんて誇らしげに胸張れどそのほとんどは「田舎」です。田畑や森林、山などの自然風景が大半を占め、家屋や、ましてや都市の姿など、車窓の外に滅多に現れてはきません。いやほんと。
もちろん新幹線や鉄道は騒音の問題などからあえて人口密度の高い場所を避けて施設されている、ということはあるでしょうけれど、それにしたって“子供のころ夢見た未来都市”なんてそうそう実在するもんじゃない。
国土に住んでいるのは、実は猿や熊や猪や鹿、様々な鳥などのほうが人間を上回っているのだし、まあそういう言い方は単なる屁理屈でしょうけれど、「過疎」という表現に至るほどではないにせよ、どこもかしこも似たり寄ったりの「田舎」ではあるのです。「地方都市」なんて言い方もあるけれど、これなんてまさしく中途半端さの極みであり、人口密度は高くもなく低くもなく、インフラは一定水準整ってはいるけれども、だからといって産業が豊富なわけでもない。ぶっちゃけていえば中央の店子的位置づけであり、今、日本の経済を支える幾つかの超巨大企業、そのグループのどこかには属していて、独立した「都市」なんてものでは決してない。
「東京」と「その他」といった表現がぴったりくる今の日本にあって、それでは東京=中央に暮らす人間以外は何にどう希望を見出し、日々をどう充実させてゆけばよいのか。
そんな堅っ苦しいばかりのお題目を唱え、眉間にしわ寄せて考えてる“フリ”するくらいなら、「過疎」なんて言葉は蹴っ飛ばしちゃって、
そうさオイラたちは「スモール・コミュニティ」なんだ、って笑い返してやって、
自分たちがいかに幸福にあふれた暮らしを営んでいるのか、いかに満たされた生命としての毎日を送っているのか、そのことをこそ誇るべきだし、もっともっと尊重するべきだと思う。
そんな“充実したスモール・コミュニティ”の集合体が本来の日本の姿なのだし、そこにこそ、かけがえのない幸せが息づいているのだろうし。
家族がいて。一所懸命に毎日を過ごして。小さいけれども大切な「想い」がたくさんあって。ちゃんと見つめればそれらは原石のようにきらめいているし、本当の充実感がそこに凝縮されている。
どんなにモノで満たされていても結局のところ、人間を充実させるのは、真の幸福と呼べるのは、やっぱり「人」なのですよね、
そのことが明瞭に感じ取れる「スモール・コミュニティ」から、教わるべきことがたくさんあるのだと、自戒をこめて今、思います。