年を重ねれば重ねるほど、“そのこと”を身に染みて感じるのです。
友達は、いますか? 何人くらい? そして何年のお付き合い?
なんて、いきなり鋭利な切れ味の問い掛けをしてしまいましたが(苦笑)、この頃しみじみとそんな自問をしていることが多いです、、、、、、
ふと、まだ寒さの残る春先の夕方だとか、はたまた夏の夕暮れとか秋の木枯らしだとかetc、、、まあ基本、黄昏(たそがれ)てる時間帯ですね、ふと思うのです、友達、というものについて。
年齢を重ね、各々が各々の暮らしを築いてゆくにつれ、付き合いの数や幅はどんどん限定的になってゆく気がします。結婚しちゃえば、仕事と家族とご近所さんや子供の親同士の付き合い、ぐらいかな。どこの家庭でも似たような構成になると思うのですが、「仕事」「ご近所」「親同士」の関係性って決して「友達」では、ない。場面場面では軽口のように「お友達!」とかって紹介し合ったりするかもだけど、それはやはり建前でしかない気がする。
「友達」の定義(って言い方が既に杓子定規ですが)にもよるかと思いますが、「腹を割って何でも話せる、笑い合える、喧嘩し合える」関係性を「友達」とするのなら、どんなに仲良くなれたとしても「仕事」「ご近所」「親同士」の持つ距離感はやはり「友達」とは違うものだと思う。ドライ過ぎる捉え方かも知れません。でも、打ち解けた、とこちらが感じていても、もう一歩近づこうとすれば途端に溝ができてしまうような緊張感が、常に横たわっているように思います。暗黙のルールというものが必ず潜んでいて、それは厳しく守られなければならない。結構世知辛い部分があり、思い切り心をオープンにして接するわけには、どうもいかない(苦笑)。
もちろん子供の頃にだってそんな人間関係の機微は必要なのですけど、そして子供時代のほうが容赦ないことも多いのですけれど、その分がむしゃらに関わってゆくことはできるし、魂と魂のぶつかり合いとでも言うのでしょうか、本物の友情が育まれてゆく感触がある。
大人になると、どんどん「友達」ってできにくくなる気がします。個人差はあると思うし、捉え方の問題と思えばその通りでもあるのですが、この微妙な温度差ってもんは年齢が重なれば重なるほどにじわじわと実感を伴うもので、要するに淋しくなる。ふと、学生時代に戻りたく、なる。
なんだかしんみりしちゃってますけどつまり(笑)、学生時代にしっかり友達作って、一緒にバカやってがっつり厚みある思い出たくさん重ねて、それを一生の宝として大切にしてゆく。
そうゆうことが本当に本当に本当に大事なんだなあって、声を大にして言いたいですね。
特に今、学生時代を過ごしている人たちに。