
西加奈子さんはとあるインタビューでこんな風なことを言っておられました。
100万人に向けて書こうと思うと途方に暮れるけど、
100万人に届けたい時でも結局は特定の誰かひとりを思い描いて、
その人に届けるつもりで書けばいいんだ。
そう気づいてから、書くことがスッと楽になったのだそうです。
大勢の前に立ち、目の前のたくさんの人たちへ何かを伝えようとする時、
う~ん、そうですねえ、何か具体的な例えを挙げるほうがイメージしやすいですかねえ。
では例えば、PTAの会長さんとして壇上に立ち、生徒さんやご父兄に向けて謝辞や祝辞を述べる場面、とでも致しましょうか。
「生徒はみんな私の子供」、先生ならばよく口にする美辞麗句、PTA会長としてももちろん使いたい言葉だし、そう思えるのが理想でしょう。
でも。
保護者ってやっぱり特定の誰かの親なんです。ぶっちゃけ、自分の子供のことしか想えないし、興味も持てないというのが本音のところ。いやはや、こういっちゃ身も蓋もないわけですけど、でも正直な気持ちだと思うのですよね。
小学校で6年、中学高校でそれぞれ3年、保護者として我が子の成長を見守ってきた感慨は想像も及ばないほどに深いものでしょうから、立場として“みんなの代表”であろうともどっこい、そうたやすくは気持ちを切り替えられるもんじゃない。だって親ですもの。
かくて会長さんは苦悩する、
はてどうやって大勢と対峙しよう、どんな切り口で語ればよいんだろう、と。
結局、拡大解釈でいいんじゃないですかね。難しく考え過ぎなくてよい。
それこそ、自分のお子さんにだけ語っているつもりでオッケ!それでも不思議と、みんなの胸に響くのです、きっと。
まあ考えてみれば当然で、会長さんが“みんなの代表”である以前に「ひとりの親」である境涯って、代表の立場にない親御さん誰しもの共通した心境、なんですよね。そりゃそうなんです。
もちろん各ご家庭にある個人レベルの問題については、いわゆる共有感は得られにくいかも知れませんから持ち出さないに越したことはないわけですけど、そこさえわきまえておけば結構何を言ってみても響くところは、ある。学校生活という、一種の閉塞状況下の感情ベクトルって、生徒にしたって保護者にしたって、割と共通しているもんなんですよね、というか、そんなにバラエティは多くなく、要するに歓びも悩みも勘所はみんないっしょ、てなことで(笑)。
だからまずはご自身の、我が子に対する想いをしっかり煮詰めるところから始めれば、万事落着ですね、
発表の場に詰め掛けた大勢の子供たちに語り掛ける素振りでその実、
我が子に語り掛ければいい。思い入れたっぷりに。
大丈夫、きっと届きます。