
この歳、と書いてみてもご存知ない方ばかりかと思いますので、まあ仮に36才だとしておきましょうか。御年36才の筆者(男)は、俗にいう「孤独を愛する男」(スナフキンさんのような?)として生きて参りまして、
まあざっくり言えば友達が少ない・・・・・・。
いや。いない。
幾度かの転校経験や、元々が内にこもる質(たち)であることも災い(?)し、小さい頃から知っている幼馴染だとかで現在も連絡を取り合っている友達、みたいな人が、いない。
10代とか20代の頃はそれでも平気だったのです、というか、全く意識すらしなかった。その都度その都度の遊び仲間さえいればそれで満足だったし、昔から知っている濃ゆい関係はむしろ面倒くさく感じてもいたもので、さっぱりした気分で生きていられたのですね。
けれど今、年々、いやさ日々、
淋しさが押し寄せる・・・・・・。
例えば会社の同僚だとかの知り合いが結婚し家族を築き、その過程の中で自然発生的に「故郷の幼馴染」との交流が復活していたりするわけです、
そうゆう話を耳にする→自分にはいない→淋しくなる・・・・・・。
的な三段論法? まあとにかく。サミシイ・・・・・・。
だからといって、本当に誇張でなく長年連絡を取っていない、そもそも連絡先すら把握していない、というか根本的な問題として“ふるさと”と呼べるほどの関わりや思い入れを抱いてはいないあやふやな生まれ故郷とのアクセスを、今になって取り付けようとゆう勇気は、・・・湧かない。
同窓会幹事だとかの連絡先が分かってみても、いざ意を決して名乗ったところで「は? 誰?」って言われたりリアクションされたりするの、とても耐えられない・・・・・・。
だから淋しさを埋めるため、新しい友達を作ることに心血を注ぎ始めている今日この頃、いわゆるコミュ活動ですな、出掛けたイベントや飲み屋など行く先々で他の人に頑張って話し掛けるなどして、どうにかLINEの交換にこぎつける、だとかね。情けない気持ちを噛み締めながら、地道に友達作りをしておる次第ですが、
やはり求めるものは昔からの自分を知ってくれている友達、
なのですねえ・・・・・・。ないものねだりに尽きます。
小さな町の、生徒数の少ない小学校。暮らす人々の大半が顔見知りであり、大人も子供も隔てなく交じり一緒に成長してゆく。自分の小さい頃にもそんな空気がかすかに残っていた気もするし、映画とか小説だとかで触れることのできる昭和30年代だとかね、地域が本当の意味で「地域」だった頃の、密度の高いコミュニティ。そんな理想郷を、少し想う。
面倒くささもある、でも、人が本気で魂と魂で関わり合うとゆうことは本来、とても面倒くさいことのはずだし、それだからこそ、容易には崩れない本当の絆を築くことができるのだとも思う。
SNSを利用して簡単に“つながり”を得られる時代だからこそ、肌と肌で触れ合う密接なコミュニティの大切さ、かけがえのなさを、改めて噛み締めています。こんなおっさんになってから必死に友達作りするような羽目にならないように、いやそれも楽しいのですけれども、
子供たちには、小さい頃からの友達との仲は、一生の宝になるのだと、知ってもらえたらいいなあ、伝えていかねばなあ、と感じています。つくづく。