弔辞の代筆専門「弔辞の森」が、実際の作成の経験をもとにアドバイスをお送りするシリーズ。
今回は、
「感動する弔辞」はありませんが作れます。
です。
このページは、インターネットや書籍などで調べて、「どうにか感動する弔辞を」とお考えの方が対象です。
身も蓋もありませんが、そこには「感動する弔辞」は確実にありません。
「こんな感じでいいかな」と思ってあれこれ真似をしたり、拝借をしたりしながら完成させた弔辞は、残念ながら「こんな感じ程度の心に残らない弔辞」になってしまう傾向があります。
このことを、分かりやすい例を用いてご説明いたします。
インターネットで弔辞を検索してみますと、よく名司会者のタモリさんの漫画家・赤塚不二夫さんへの弔辞のテキストや動画が出てきます。
きっと、このページにたどり着く前に、一度は目にされたのではないでしょうか。
この弔辞は、タモリさんが大変親しくしていらっしゃった赤塚不二夫さんへの弔辞だからこそタモリさんの故人への強い思いがあって、だからこそ第三者が聞いても(観ても)感動します。
また、このタモリさんの弔辞を聞いて(観て)感動するのは、少なからず、タモリさんと赤塚さんとのご関係を、テレビやインターネットを通じてご存知だからです。この前提があって弔辞を聞く(観る)ことで、「タモリさんはそんなふうに思っていたんだな」と感動をするわけです。
あくまでタモリさんと赤塚さんとの間だからこその内容ですので、この弔辞を真似たり拝借しても、感動する弔辞にはつながりません。
おそらく、インターネットや書籍で探す方の特徴は、無意識だと思いますが、「構成をどうするか」、「表現をどうするか」を探していらっしゃるんだと思います。
構成がうまくても、表現をそれっぽくカッコよくしても、それは、「感動する・しない」とは別のことですので、どうもしっくり来ないものになるはずです。
構成や表現そのものは大切ですが、「感動する・しない」でもっとも大切なのは「故人に対する思いの強さ」です。
とても当たり前すぎて拍子抜けをされたと思うのですが、実際にはそうなんです。
構成や表現は、そのうえでどうするか、というお話になってきます。
実際のところ、「故人に対する思いの強さ」があれば、構成が少々ガタガタでも、表現が上手くなくても、感動する弔辞になります。
これらを踏まえますと、感動する弔辞を探して見つけ出すことはできませんが、作ることならできます。
ぜひ、あなたと故人とのことに思いを馳せてください。それが最善にして唯一の感動する弔辞への道です。
最後に参考までに、感動する要素が本当にない場合のことや、そもそも感動する内容である必要があるのかなど、下記のページで触れていますので、よろしければお読みください。
(前半は本ページとちかしいことを書いていますので、中盤以降をお読みください)
感動する弔辞は、探してもありません