弔辞の代筆専門「弔辞の森」が、実際の作成の経験をもとにアドバイスをお送りするシリーズ。
今回は、
「感動する弔辞は、探してもありません」
です。
「感動する弔辞を発表したい」
このように思っていらっしゃる方は多いと思います。
その方々が取る方法は、本やインターネットで感動する文言を参考にしようということなのですが、それはやり方が違っています。むしろ、こんなふうにおっしゃる方に限って、感動する弔辞から遠いところにいらっしゃる傾向があるように思います。
と言いますのも、感動するものなんて、何かから探そうとしても、そこには絶対にないからです。
感動が所在する唯一の場所は「自分の心の中」です。
きっと感動を探している方もそれは分かっていらっしゃるのだとは思いますが、たぶん、
感動する弔辞を探すこと と 感動につながるような優れた表現を探すこと
をごっちゃにされているのだと思います。
感動につながるような優れた表現であれば、探すことはできます。参考にしていただくとすれば、私どもが公開している例文もいいですし、案外、小説や映画、音楽からインスピレーションを受けるのもよいかもしれません。
実際のところ、弔辞を発表する方と故人との間柄によって、感動する要素がある場合とない場合とがあります。「ない場合」というのは、たとえば、会社同士の付き合いで弔辞を発表する場合など、そもそも故人のことをよく知らない場合などです。
また、弔辞を発表する方のご性格によって、本当は故人との感動する何らかのことがこれまであったかもしれませんが、それを逃している、忘れてしまっている場合もあります。
そのため、よくよく思いをめぐらせていただいたら、あるかもしれません。
これらのことから、自分の心の中にある故人への思いをしっかり整理することがまずもって大切なことであり、それが感動する内容につながっていきます。
「そうか、じゃあ私には感動する弔辞は発表できないのかもしれない」
このようにお感じのあなた様。
はい、残念ながら、あきらめるほかありません。
しかし、です。
そもそもの話ですが、弔辞だからといって感動する内容にする必要はありませんし、長らく弔辞原稿を作成しています私たちから見ますと、ほかにも大切なことがありますしね。
「感動する、しない」から離れて、故人をしっかり悼むという思いで弔辞をおつくりになるのも、一考に値することだと思います。