本日ここに、故高野優先生の告別式にあたり、謹んでご霊前にお別れの言葉を申し上げます。
唐突な訃報を受け、胸にぽっかりと穴が開いたような思いでございます。このような形で先生とお話をさせていただくことになるとは、寂しく悲しいばかりです。
私が初めて高野先生とお会いしたのは、小学校五年生のときでした。異動してこられて、初めて受け持ったクラスに私がいた。「やかましい子がいるなあ」とお思いになったことでしょうね。ただ、私としては、知らない先生がやってきて、その先生の初めてのクラスが自分たちだというということが、純粋に嬉しかったのです。
二十年の時を経て、同窓会で再びお会いした先生は、なおも若々しくて大変驚かされたことをよく覚えております。「大きくなったなあ!」なんて言って肩を叩く手の力強さ、還暦を前にした方のものとは思えませんでした。
また、お酒のほうもお強いこと。生徒との思い出話を肴に酒を飲めるのが、教師の特権。それが先生の口癖でしたね。あのときはこうだった、そのときは大変だった、さらには、「平井は気が強い割によく泣いた」と、昔のことを懐かしむ先生はとても楽しそうでした。恥ずかしい過去をほじくりまわされる身としては勘弁していただきたいところではありましたが、ささいなことでも、私たちとの思い出をしっかり持っていてくれているところが、先生が先生たる所以(ゆえん)、多くの生徒の皆さんから慕われている理由なのだろうなあと、常々思っておりました。
「次はいつ集まるんだ?」、これも先生の口癖でした。乾杯してから十分と経っていないのに次の会の話をして、みんなを困らせて、笑わせるのが好きだったんでしょう。それを言われるのがわかっていたから、私も先回りして予定を立てていましたのに、こうした形で集まることになるなんて、ちっとも嬉しくありません。
高野先生、もう一度みんなで思い出話に花を咲かせたかったです。子どものころの私たちが、先生の目にどんなふうに映っていたのか、もっとたくさん聞かせてほしかったです。どうしてこんなに早く旅立ってしまわれたのか。それを思うと、寂しいという言葉以外にありません。
けれど、下ばかり向いていては、先生を心配させてしまいますね。この悲しみが消えることはありませんが、私たちは、先生の大らかな笑顔を胸に、また明日から前に進んでいこうと思います。
次にみんなで集まることができるまでは、時間がかかりそうではありますが、どうか私たちのことを見守っていてください。
高野先生、今まで本当にありがとうございました。
平成三十年二月二日
平井 純太