
「元気でいること」は何よりの宝、なのかも知れません──。
お正月なんかに実家へ帰ったりすると、実感するわけです、
親にとっては、僕たちは幾つになっても「子供」なんだなあ、と。
年に一度ぐらいしか帰省しない不孝者なもので、せめてもの罪滅ぼしにと、吟味に吟味を重ねた少し値の張るお酒だとかお菓子だとかを土産にチョイスして、帰り着くなり得意満面で「大したもんじゃないけど」なんて言いながらそれを手渡すと、予想してた以上に感激してくれたりして、得意顔した自分がちょっと恥ずかしくなるくらいのリアクションで出迎えてくれる。高価過ぎるかな、って財布からお札を出す際にはいささかの躊躇もあった帰省土産も、やっぱりこれにして良かったなって、受け取った親以上に渡したこっちを嬉しい気分にさせてくれるその温かさ、まず涙ものですね、ファーストステップ。
けれど親の大きさや懐の深さが身に染みて思い知らされるのは、ひとしきり食事も終えてお酒も進んで、場が和やかになった頃合いにふと、
なんてことのない感じでとつとつと、
病気してないか、体は大丈夫か、
元気でいてさえくれれば、それでいいんだからな、
的なことを言われる瞬間ですね。
とつとつとしていても、いや、だからこそかな、
そのまっすぐな言葉のひとつひとつは、何の取り繕いもない、隅から隅までの親の本音なんだ、って伝わってくる。じんじん染みる・・・。
どんな豪華な手土産よりも、僕たちがこうして元気な姿で帰ってきて、笑顔を見せて、たとえ短い時間だとしても一緒に過ごして。ってことが何より喜んでもらえているみたいで、誇らしいような背中がこそばゆいような、ほっこりとあったかい気持ちにさせてくれるのです。
親って凄いなあ、って。
ありがたいもんだなあ、って。
つくづく思う。思って、でも自分の生活に戻ったらそんな想いはすっかり忘れて、また一年とか無沙汰して、帰るのめんどくさいなあとか思ったりして、ちょと渋々で帰省してみたりして、
で、またありがたさが身に染みる。
自分の愚かさも身に染みるわけですけど、でも、それでいいのでしょうね。自分が親として、自分の子供に同じようにしてあげたなら、「順繰り」をちゃんと自分も今度は実行してゆけたのなら、それで充分、親に対しての恩返しになるのだと思います。身勝手な解釈かも知れないですけど。
あとは本当に、僕たちが健康でいること。
それを守るだけでも、親は安心してくれるのだなあ、って。
そんなことを考えてまた、じぃぃぃんと、ありがたさが身に染みるのです。