当社は、新たな例文をアップした。
この中に、「初めての孤独」という言葉を入れた。今回はこのことをお伝えしよう。
孤独を再定義する言葉の力
式辞の中で、校長はこう語りかける。
> これから皆さんは、数えきれない「初めて」に出会うでしょう。初めての職場、初めての研究、初めての住まい、そして、初めての孤独。
「初めての孤独」——この表現には、深い洞察が込められている。
まず注目すべきは「初めての」という言葉だ。これは暗に、二回目、三回目の孤独もあることを示唆している。つまり、孤独は人生において避けられない、繰り返し訪れる体験だということを率直に伝えているのだ。
多くの卒業式のスピーチが「頑張って」「仲間を大切に」といった励ましで終わる中、この校長は敢えて現実を直視している。孤独は人生の一部であり、それから逃げることはできない、と。
「集中と創造の前室」という視点
しかし、この式辞の真価は、孤独を単なるネガティブな体験として扱わない点にある。
> 孤独は、集中と創造の前室でもあります。扉の向こうに人がいることを確かめたら、勇気を出してノックして開ければいい。
「前室」という比喩が秀逸だ。前室は目的地ではなく、次の空間への準備をする場所。孤独を「取り残された状態」ではなく、「何かが始まる前の大切な時間」として捉え直すよう促している。
この視点の転換こそが、人生を豊かにする鍵なのかもしれない。
理解と自覚の差
興味深いのは、孤独が「集中と創造の前室」であることを、実は誰もが体験的に知っているということだ。一人でいる時に新しいアイデアが浮かんだり、静かな時間に気持ちが整理されたり——そんな瞬間は誰にでもある。
違いは、それを自覚するかどうかだ。
自覚していない人は、孤独の時に何か良いことが起きても偶然だと思ってしまう。一方、自覚している人は「孤独には価値がある」と知っているから、その時間を意図的に活用できる。
この校長の式辞は、まさにその自覚を促すものなのだろう。「これから君たちが経験する孤独には、実はこういう意味があるんだよ」と、あらかじめ言語化して手渡している。
タイミングと立場の意味
この種のメッセージが特に価値を持つのは、高校の卒業式という場で、校長という立場の人が語るからだ。
18歳前後は、まさにこれから本格的な孤独を経験し始める年齢。大学での一人暮らし、新しい職場への挑戦——親や学校という保護的な環境から離れ、初めて「本当の意味で一人になる」時期でもある。
そのタイミングで、何百人もの卒業生を見送ってきた人生の先輩が、公の場で「孤独は怖いものじゃない、むしろ価値あるものだ」と伝える。これは友達同士の会話では出てこない種類の智恵だし、親が言うと単なる慰めに聞こえてしまうかもしれない。
でも校長が卒業式で語ることで、個人的な意見ではなく人生の普遍的な真理として響く。きっと卒業生たちの記憶に残り、数年後に実際に孤独を感じた時、「あの時の校長先生の話」として思い出すことだろう。
人生の智恵の手渡し
この式辞を読んで感じるのは、教育の本質的な役割の一つが「人生の智恵の手渡し」にあるということだ。
知識や技術だけでなく、人生をどう捉え、どう生きていくか。そういう根本的な視点を、適切なタイミングで、適切な人から受け取ることの大切さ。
「初めての孤独」というメッセージは、まさにそんな智恵の一つなのだと思う。誠実で、現実的で、それでいて希望に満ちている。
これから様々な「初めて」に出会う若者たちにとって、きっと心の支えとなる言葉になるに違いない。
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