弔辞の読み方・話し方のお話です。
案外、この原理原則に気が付きづらいんです。
弔辞(弔詞とも書きます)というのは、故人を弔う、まさに言葉です。
マイクスタンドの前に行き、霊前に向かって話します。
その瞬間、どこか弔辞を述べる側と故人との二者の空間だけが存在するような気がしますが、実際は、ご葬儀の会場には、ご遺族はもちろんご参列の皆様がいらっしゃいます。
葬儀会社の人もいますが、直接の関係はありませんので置いといて。
つまり、故人にだけ話す内容であればいいというものではないんです。
「いや、だって弔辞って故人に話すものではないのですか?」
こういうふうにお感じでいらっしゃると思います。
そうなんですが、ご参列の方々がいらっしゃる以上、ある程度わかりやすいように、内容に説明を入れてあげないといけないんです。
本当に弔辞を述べる人と故人とのあいだだけの会話なら、きっと聞いていらっしゃる方は、意味がわからない箇所が出てくるはずです。
手紙を想像していただくとわかりやすいです。
手紙というのは、特定の個人に出すものです。
この場合、二人(手紙の送り手と受けて)にだけ分かればいいですから、妙に説明的になる必要はないですね。
でもこの手紙を第三者に見せたとき、すべて明確に意味がわかるかといえば、それは、否。わからない箇所が散見するはずです。
たとえば、
「あのときの約束。今年こそ果たそうぜ」
この文言では、手紙の当事者同士だからこそ、みなまで言わなくてもわかる、まさに「あのときの約束」です。
ですが、第三者にはそれがいつの約束なのか、どんな約束なのかは分かりません。
第三者にわかってもらうためには、
「僕らが大学の卒業式のときに話した、一緒にアメリカにいく約束。今年こそ果たそうぜ」
こういうふうに、少し説明を加える必要があります。
当事者以外の方々がいらっしゃるご葬儀においては、弔辞の中身はある程度説明的な内容を盛り込まないと、聞いていらっしゃる方はわかりづらいわけです。
たまに、有名人のご葬儀で、やっぱり有名人が弔辞を述べている姿をご覧になると思います。TVのワイドショーでたまに放映されます。
もし次にご覧になる機会があれば、よくよく聞いて見てください。
故人に話しかけているようで、実はけっこう説明が入っています。
これは、意識的にか無意識的にか、弔辞を発表する皆さんはされていることなんです。
こういった前提があり、では、読み方・話し方はどのようにするのが最適かと言いますと、しっかり霊前に向けて読む、話す。これに尽きます。
既出のように、弔辞の内容にはご参列の皆さんでも分かるように、説明的な内容が入ります。しかしそれは、ご参列の皆様に紹介をしたいがためのものではなく、あくまで弔辞は故人に向けての個人的なお別れのお手紙であって、その中で、ご参列の皆様にもわかっていただこうとして意識的に説明を入れる、または、無意識的に説明が入るだけです。
ですから、ご参列の皆様に対して読んだり話したりするわけではなく、あくまで故人に対して読み、話すことになります。
そういう意味では、ご参列の皆様のことは一切気にする必要がなく、弔辞を述べる側と故人との二者の空間だけが存在しているかのごとく、強く感じていただきますと円滑に弔辞の発表者としての役割を果たすことができます。
余談ですが、私たちの弔辞原稿の作成の立場からは、実はこの「説明の内容」というのが、あまり前に出過ぎないようにしたほうがいいと考えています。
なぜなら、その「説明」は、弔辞の発表者と故人とのあいだではすでに分かりきった事柄であり、それをわざわざ説明しすぎると、それは故人を悼む気持ちよりもその説明が目立ってしまい、私たちが考える「優れた弔辞」にはならないからです。
絶妙なバランス感覚が必要で、私たちは普段、このことに大変注意を払っています。
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